「おもてづら」より意味

いつもありがとうございます。

ハンバーグとビーフシチューは優劣つけがたい肉好きの、岩松正史です。

先日、Googleの人材採用担当者も重視しているという
「知的謙遜」についてBLOGに書きました。

傾聴力そのものだと。

※過去の記事「知的謙遜と傾聴力」
http://bit.ly/2NByCZa

詳しくは過去記事を見てもらえばいいのですが、
知的謙遜とは簡単に言うと「無知の知」ということです。

自分が何でも知っていると思わないで
外の世界のものを素直に知ろうとし受け入れる
謙虚さがどれくらいあるという能力です。

その後、知的謙遜について講座の中でも
受講者さんたちに話をしていたのですが。

あるとき、英語に堪能な受講者の方から
知的謙遜という表現に違和感があるといわれまして。

調べてみると知的謙遜のもととのなる英語は

「Intellectual humility」

でした。

でも、

「日本語→英語」の翻訳アプリで
「知的謙遜」と入れると確かに
「Intellectual humlity」出てくるのですが、

逆に、

「Intellectual humility」を
「英語→日本語」の翻訳に欠けてみると知的謙遜ではなく、
「知的謙虚さ」と出てくるのでした。

先ほど指摘くださった方も、私が言わんとしている意味であれば
Intellectual humilityの訳は知的謙遜より、
「知的謙虚さ」と訳したほうが適切だろうと。

そういわれて妙に納得したのでした。

同時に、その話を聴いたとき

「似たものが傾聴の世界にもある・・・」

ことを思い出しました。

それはロジャーズのいう傾聴の3条件のなかの

「Unconditional Positive Regard(UPR)」

の訳です。

最近の心理学系のテキストでは
「無条件の積極的関心」と、
ロジャーズがいわんとする本来の意味に
近づける修正が試みられています。

でも古い「無条件の肯定的配慮」という
訳もいまだに残されています。

知的謙遜の中の「謙遜」と
無条件の肯定的配慮の中の「配慮」。

この2つがいかにも日本的かつ、
本来のいわんとする意味からすると
誤解を与えかねないなと。

「謙遜」も「配慮」も、
「謙虚さ」や「関心」に比べると、
自己否定感や自己犠牲感のニュアンスを
強く感じるのは私だけでしょうか???

何かそこには自己犠牲、自己否定を美徳とする
日本人独特の価値観への誘導があるように感じます。

多くの人は、いちいち単語がもつ
本来の意味に疑問を持って調べたりしません。

なんとなくの印象で
わかったつもりになって鵜呑みにします。

伝わりやすいぶん簡単に
誤解もされやすいのです。

私は無条件の肯定的配慮は使わずに
「無条件の積極的関心」を使っているのと同様に、

これから知的謙遜という一見わかりやすい
言葉の響きに惑わされないよう
この言葉を使うのをやめます。

Intellectual humilityは
「知的謙虚さ」と呼ぶことにします。

おもてづらよりも中に含まれている
本当の意味こそが大事。

表面的な主訴に惑わされず
内面的な根っこの主訴を大事にする傾聴を目指す人は
言葉の意味にこだわると傾聴力が上がります。

よかったら、

・無条件の積極的関心
・知的謙虚さ

を一緒に使ってみませんか?

さて、あなたはこの私の独特な意見を
否定や指摘の態度ではなく、
知的謙虚さをもって読むことができたでしょうか?(笑)

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人の話を聴く方法は、
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http://bit.ly/2qvtDuo

<<編集後記>>

最近、10年ほどあまりやらなかったことを
復活させるのがブームです。

・朝食を食べない→立ち食いうどんをよく食べる
・白米をあまり食べない→まあまあ積極的に食べる
・昼食を食べない→講座以外のときは食べる

などやっています。

食べない時期が長かった分
食べると体重が増えやすくなっている気もしますが、
食べれば食べたでその良さも実感しています。

人生は何が成功なのかよくわかりませんから、
ときどき自分が今持っている価値観を疑って
行動を変えてみるというのは大切かもしれません。

寒い一日ですが、

今日もいい一日をお過ごしください!



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■傾聴の参考になる動画
心理学的な傾聴の説明をゆっくり学べます
→ 諸富祥彦の傾聴のねっこ(動画)