喜びすぎと自己否定は同じ(2)

いつもありがとうございます。

4つ目のアイスを食べようとしたら
太るよと息子に止められた、岩松正史です。

※前回からの続きです
前回

相手を変えたいという欲求がある人は、
喜んでくれると嬉しくなります。

これは自然な反応です。

でも、喜びすぎてはいけません。

他人からの報酬がないと
自分という人間を保てなくなってしまうなら

「喜び中毒」

です。

相手が喜び続けてくれればいいですが
そういうわけにはいきません。

相手は人。

喜んでくれる時もあれば
くれない時もあります。

こちらから同じ親切を提供しても
同じように満足してくれるとは限りません。

すると喜び中毒の人は、

「相手にとっての正解は何だろう」

と相手の顔色ばかり
気にするようになってしまうのです。

「相手の反応がすべて」

になり、
自分がなくなってしまいます。

そして、

相手が喜んでくれないとその原因を

「自分のせい」

にし始めます。

「私が足りなんじゃないか?」
「何かいけないんじゃないか?」

自分の存在価値を疑ってしまうのです。

本当は初めから他人の気持ちなど
当て続けることなどできないのに。

他人を喜ばし続けることなど
非現実的なのに。

相手が喜ばない原因があたかも
自分にあるかのように錯覚し始めます。

相手が喜んでくれることに、
喜びを感じすぎる人は、

相手が喜ばない時に自分を
非現実的なほど責めすぎる人でもあるのです。

喜びと自己否定は表裏一体の関係にあります。

すべては、他人を変えたいという
うぬぼれから始まります。

このように本来相手が自由に決める
「結果」を「目的」にしてしまうと
人間関係がおかしくなってしまうのです。

相手が喜んだとしても、
それは自分の手柄ではなくて
ただ「喜んでるなぁ」と喜び半分。

親切にしたときに喜ばなかったとしても

「いまは悲しまざるを得ない時期なんだなぁ」

と温かい気持ちで見守る気持ち半分。

手柄半分、責任も半分くらいに思えるくらいが
ちょうどいい距離感です。

ちなみに私(岩松)自身も、
カウンセリングなどの支援をして
感謝されることがあります。

感謝されると内心困ってしまいます。

それが自分の手柄だという想いは
あって1%程度です。

あとは、クライエント自信が、
勝手に気付き、勝手に解決し、
勝手に喜んでいるように見えます。

私は何の役にも立っていない。

「だからいい」のです。

問題を解決するのはもともと本人の仕事。

上手くいっても自分の功績だと
喜ぶ必要もなければ、必要以上に
責任も強く感じる必要もない。

相手もこちらに無理に
無理に笑顔を見せる必要はない。

・・・

他人のポジティブな変化を求めすぎる心は
自己否定感と表裏一体。

本当の意味で人役に立ちたいなら
自分の役に立つことができる
人間でありましょう。

自分のことがちゃんとできれば、
他人のこともちゃんとできます。

喜びすぎは事故て否定に
つながる可能性があるので
気をつけましょう。

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5月31日に講演会をやります。

「大病をした方との接し方」
「傾聴ボランティアの聴き方」
ダブル講演会5月31日京橋(東京)
 ↓
http://bit.ly/2WPfTLM

<<編集後記>>

ひと月ほど前プランター植えた
「かぶ」が大きく育ちました。

早速息子と一緒に抜いて食べました。

思った以上に甘くて
息子と二人でおいしく
食べることが出来ました。

もっと食べたいからと言いながら
せっせと水をやる息子の姿を
目を細めてみていた
ほのぼのした一日でした。

今日も暑くなるようですね。

今日もいい一日をお過ごしください!



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■傾聴の参考になる動画
心理学的な傾聴の説明をゆっくり学べます
→ 諸富祥彦の傾聴のねっこ(動画)