「のに」の責任感

電車で席に座っていたら、

目の前に20代の若者二人が立っって

片方が話し始めた。

若者「これだけ責任負って、なんで?リターンがないってなに?ボランティアだよこっちは」

若者は不満だった。

その言葉を聴きながら思った。

「だったら、やめればいい」

と。

私には、

「ボランティアでやっているのに」

というセリフの中の

「のに」

の部分が特に、耳につく。

耳につくのにはわけがある。

実は以前にも、似たセリフを聴いて

がっかりした経験がある。

何年も前にある場所で、

傾聴ボランティア育成のお手伝いをしていた時、

そこに参加されていた方がこういった。

「私たち、お金をもらっているわけでもない『のに』、そこまで責任はもてない」

と。

それを言葉通りとらえるなら、

「お金をもらっていたら責任があり、お金をもらわなければ責任は負わなくてよい」

ということだと理解した。

だとすると、ボランティアというのは

無責任な人の集まりになってしまう。

それは、おかしいと思った。

有料でも無料でも、責任の重さは同じだろうと。

「ボランティア=ただ」

「ただ=責任がない」

目の前に立っている若者の発言から、

そういう危うい意識は、世代を越えて

常識になっていると再確認した。

日本は高齢化が進み、ますます

社会は無償や安価で活動できる

ボランティアの必要性が高まっている。

そのことがもし、

社会に無責任が人たちが

増えていくことを意味するなら、

悲しすぎると思った。

【この言葉を自分に言ってみよう!】

「責任の重さはお金で決まるのではなく、自分で決めよう」

そしてもう一つ。

人の心は目で見ることはできない。

でも、気持ちは言葉によく表れることも再確認できた。

<お知らせ>

4月は傾聴1日講座を大阪でも開催します。
 ↓
http://bit.ly/2k1gHKi

 

logo1

自分の心の声を聴き、人の心を聴く
・ 傾聴1日講座(基礎) /毎月開催中

脳と心を鍛える無料メール講座
・ 傾聴のつぼ入門編
・ 記憶のつぼ入門編

岩松正史のアクティブ・ブレイン関係のセミナー
・ 初心者のための記憶術
・ アクティブ・ダイエット
・ アウトプット読書法
・ 夢実現講座

著書「聴く力の強化書」 /2刷 自由国民社

メルマガ「毎日2分!傾聴三昧」