あたりまえと言い聞かす

先週の金曜日、急にのどが痛くなった。

熱は上がらなかった。

傷みがあり声だけがかなり出にくい。

でも翌日から3連続で土~月曜まで講座なので

朝から晩まで話し続けた。

そうしたら、風邪のようなものだったようで

翌日、火曜日から鼻水まで出始めた。

もし調子が悪いとわかった金曜日から、

無理して話さなければ、

ここまで悪化しなかっただろうと思った。

状態が悪い時に無理をしたのだから、

よからぬ結果になったのは当然だ

と、結果を受け入れた。

おそらくこの話を誰かにしても

「休めなくって残念だったね」

といたわりの言葉をかけてくれるくらいで、おわりだろう。

誰も私を責めはしない。

自分自身も「しょうがなかったよね」で、

きっと、おしまいだ。

でも、

もしこれが「のどの具体」ではなくて

「心の具合」が悪い時だったらどうだろうか?

つまり、

「イライラしている」

「落ち込んでいる」

「悩んでいる」

「気になることがある」

「不安・・・」

そんなときに、

人の話を聴こうとしても

上手に聴くことはきっとできない。

でもその人の立場によっては、

たとえ聞けない状態でも、立場上

聴かなければならない時もきっとある。

聴けない状態のときに、

聴こうとして上手に聴けなくけなかったときに、

はたして、

「しょうがなかったね」

で、自分の中で割り切りができるだろうか?

「努力が足りない」

「我慢が足りない」

「人間としての器が小さい」

などといって、

自分のことを責めたりしないだろうか。

そういうつまらない自責はやめようといいたい。

のどの痛みと同じだ。

「期待に応えられなくて残念だったなぁ」

「次はできるだけ整えて聴こう」

と前を向く。

あるいは、

「でも具合が調子が悪い時には、また同じことが起こりえるよなぁ」

と、起こりえる現実は事実として、

受け止めて終わりにしよう。

そこに、自分という人間の

パーソナリティを持ち出して

いい悪いを言い出せば、つらくなるだけ。

体の不調なら仕方ないと思えても、

心の不調だと仕方ないと思えなかったりするから不思議。

体にとってあたりまえなら、

心にとってもあたりまえ。

自分を傷つけるように解釈する必要はない。

許すとかそんな、高尚なことでなく、

出来ないことはできない。

仕方ないことは仕方ないと、現実をそのまま受け入れよう。

そこに評価を加えても、何もいいことはない。

調子が悪かったらできない。

それが当たり前と心によく言い聞かそう。

【この言葉を自分に言ってみよう!】

「自分を傷つける名人にならない」

今日はもう、体調は整ったらからしっかり話してこよう。

いまの最善を尽くせば、それでよし!

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