梅干しから「愛情」を学ぶ

小学5年生の娘に先週、

弁当を作って渡したばかりなのに、

今日もなぜか弁当が必要なのだとか。

朝から残り物で作っていました。

こんな風に、

「弁当の必要日」は確認しても、

行事の中身は気にしないので

何で作るのか理由がよくわからないのですが、

必要とあれば、いつでも作る日々を送っております。

今日の弁当のおにぎりに

「梅干し」を入れることにしました。

冷蔵庫の中から梅干をだして

(書きながらツバが出てきました(笑))

一粒だけ箸でお皿に取り出した瞬間、

「タネを取ろう」

と思いまして。

普段は面倒なので、

タネはとったり取らなかったりなのですが

今日は取る方に心が強く動きました。

理由はハッキリしています。

娘が最近、歯列矯正をはじめまして。

口の中に、矯正器具が入っているので、

固いタネが当たると、壊れたり、

怪我をするのではないかと。

娘をいたわる愛情が動いたのでした。

そして、

娘のことをいたわりながら

作った梅干しのおにぎりは

いつもよりなんだか少し、

輝いて見えたのでした。

でも、

満足げに出来上がった

おにぎりを見ながら思ったことがあります。

それは、

「この愛情は伝わらなくてよい」

と思ったのです。

・・・

自分が誰かのためにしてあげたと思うと、

つい相手に「その愛が伝わるといい」と思ったり

そういうイイ話を聴くと

「きっとあなたの愛情は、相手にも伝わるよ!」

なんて言いたくなったりしませんか?

でも、個人的に思うのは

「どうして、伝わるかどうかに焦点を当てたがるんだろう?」

と思うのです。

結果が良ければ誰しもうれしいものです。

でも、

愛情を感じるかどうか?

結果は相手が決めることであり

どの様にすれば伝わるか?

なんて考えながらしていたとしたら、

その時点で本当に相手への愛情なのでしょうか?

「愛情は自分の中で持つもの」

で、伝わるかどうかの結果は、

神のみぞ知っています。

もちろん、

結果的に伝わったなら

大いに喜べばいいでしょう。

でも、伝わらなかったらといって、

自分の中に芽生えた愛情の意味がなくなったり

減ったりすることはありません。

自分の中に愛情があれば、

伝わったかどうか?

結果にこだわる必要などありません。

もし、伝わったかどうか?

結果ばかり気になるのなら、

それはもはや愛情ではなく、

自己都合なのではないでしょうか。

【この言葉を自分に言ってみよう!】

「愛情は、自分の中にあればそれでいい。」

「相手が愛情をもってしたことなのだから、感謝すべきだ」

とか

「きっと愛情は伝わる」

とか。

どちらも、私はある種の私意的な

コントロールのような気がしてしまうのです。

「私には、娘を思いやる愛情があった。」

その事実さえ自分でわかってえれば十分。

愛情は下手に伝えないほうがいいでしょう。

・・・

と、偉そうなことを書きながら

いま、嫌なことに気付いてしまいました。

「なぜ、梅干しのタネを取ろうと思ったのか?」

いま気づいたことを正直に言いますと。

1.梅干しのタネが入ったままのおにぎりを作る
 ↓
2.娘が食べて、器具が壊れる
 ↓
3.娘がけがをする可能性がある・・・
 ↓
4.と同時に、修理にまたお金と時間を取られるのがイヤ

・・・なんだ、自分のためなんですね(苦笑)

愛情はいつでも、

自己中心的なのかもしれません。

ならばなおさら、

感謝の押し売りにならないようにしたいものです。

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