どちらに転んでも幸せ

うちは共働きなので夏休みの間

小5の娘は学童にいきます。

なので夏休み期間は30日ほど

学童に持っていくお弁当を

毎日作らないといけません。

この作業は結構、大変であります。

なので正直、夏休みが終わり

学校給食が始まるとので、ほっとします。

「弁当を作らないでいい」

ので幸せを感じます。

でも、では一生弁当を作らない状況になったとしたら

それは幸せか?といえばそうでもありません。

わたしは娘に弁当を作ってあげたい人なのです。

娘が弁当を食べてくれていると思うと、

ものすごく幸せな気分になります。

私は、

「弁当を作りたいけれど、作りたくない人」

であり、

「弁当を作りたくないけれど、作りたい人」

でもあるのです。

もしどちらが本当の自分かと訊かれても、

「両方」

としかいいようがありません。

私は、

弁当をつくっても幸せになれるし、

弁当を作らなくても幸せになることができます。

「弁当作り」という「事柄」自体には、いいも、悪いもありません。

好きも悪いもありません。

好きだった嫌いだったりです。

何が言いたいかといいますと、

弁当作りに限らず、すべての「事柄」には

いいも悪いもないのです。

あるのは、

「その事柄に対する意味や価値はいつも変わる」

という事実だけであります。

・あの人はいい人か悪い人か?

・あの芸能人の素行はいいか悪いか?

・この健康法は本当にいいのか悪いのか?

・・・人は、事柄をいい悪いで判断するのが

ほとんど癖と言っていいくらい、大好きです。

オリンピックで日本人が優勝したら

日本人にとってはうれしくていいことですが、

負けた外国選手にしてみたら

それは悪い出来事かもしれません。

・・・

意中の異性から頼まれごとをされたらうれしくても、

嫌いな上司から同じ頼まれごとをされたらいやでしょう。

「頼まれごと」

そのものに、いいも悪いもなく、

あるのは、それに対する個人的な好き嫌いだけです。

もう一度書きますが、

「事柄」自体には社会的共通の善悪などないのです。

あるのは、個人的な好みだけ。

その好みも、弁当作りのように

ときどき良かったり、ときどき悪かったり

その日・・・というより、その瞬間の気分で変わります。

つまり私は、(そしてきっとあなたも)

「弁当を作っても幸せになれるし、弁当を作らなくても幸せになれる人」

なのです。

逆に言えば、

包み隠さず正直に言うと、

私はお金がたくさん欲しい人間でありますが、

「お金がたくさんあっても不幸にもなれるし、お金がたくさんなくても不幸にもなれる人」

でもあります。

(少し表現がおかしく聞こえるかもしれませんが)

事柄が幸不幸を決めるのではなく、

幸不幸はいつもその瞬間の気分が決めているだけなんですね。

すべての事柄に幸せを感じることなどできません。

でも、

「人は、どんな状況でも、その中に幸せも不幸も見つけることができる。」

のであるならば、

不幸の数を数えるよりも、

いまここにある幸せの方の数を数えてみたほうが

自分が楽になるかなと思ったりするのです。

【この言葉を自分に言ってみよう!】

「今この瞬間、自分を幸せにすることも、不幸にすることもできる」

きょうは弁当作りをしなくてよいので幸せです。

そして来週は娘の遠足。

来週は、お弁当を作って幸せになるとしましょう(笑)。

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