「喜んでもらおう」とすると喜んでもらえなかったとき、不満や、欠乏感が出てくる


私は誰かを喜ばすためにカウンセリングやアドバイスをすることがありません。

そんなことをいうと、
「それは無責任だ」

「あなたは人に喜んでほしいと思わないのか?」

と言われたりする。
それは違う。
自分がしたことで相手が喜んでくれたら素直に嬉しい。
カウンセリングがきっかけで人生が好転したらいいなと深く願っている。
アドバイスがきっかけで喜べることになったらいいなと心から願っている。
でもやはり、喜んでもらうという目的ではやらない。
喜ぶかどうかは目的ではなく、行動の結果でしかない。
結果を目的にしてはいけない。
喜んでもらうではなく、ただ自分がしたいから自分の欲求を満たすためにする。
すると、それは無責任だという人がいる。
果たしてそうだろうか?
「過去と他人は変えられない」

というではないか。
ならば、
喜ばそうとすることもまた、変えられないはずの他人を自分が望む姿に変えようとすることにならないのだろうか。
すると、
こういう反論が来るかもしれない。
「相手も変わりたがっている」
確かに。
でも「変わりたがっている」ことと「変われる」ことは違う。
いま目の前にいるその人は

「変わりたいけれど、変われない人」

なのではないだろうか。

喜びたいはずなのに喜べずにいる人に向かって、「喜べ」というアドバイスは本当に親切だろうか。
我欲ではないだろうか。

変わることはいいことで、変われないことは悪いこと、という良い悪い思考のメッセージになってはいないだろうか。
喜ばそうとすることもまた、他人を変えようすることでしかない。
もうひとついうなら、

喜ばせたいと思う、その思いはどこからわき出てくるのか、その思いの出どころを精査してみるといいでしょう。


たとえば、
「してあげているのに何で喜んでくれないの?」という不満、

逆に「役にたてない私」と言う風に自尊心が傷つく、

喜んでくれなかった時に、そう言うマイナスの感情がでてくるなら、そもそも相手のためではなく、自分が喜びたくて、自分のためにしているだけではないだろうか。

喜びたいのは相手ではなくて、自分と認めてしたほうが誠実でしょう。

出来ることは2つ。
・やりたいからよしやるぞ!と「決断」すること。

・自分が出来る「行動」にベスをつくすこと。

喜ぶかどうか、結果は相手に任せる。

喜べない現実も、またよしとする。

結果が悪くても、自分も他人も責めない。

そのうえで、

結果がよかった時には、相手と共に心の底から喜べばいい。

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