「当てる」と「わかる」のちがい

実家から徒歩2分のところに

半年前までローソンがありました。

もともと2階建てのちゃんこ屋だった建物を

そのまま利用して作られたものでした。

(要するにテナントということです)

そのローソンが夏に帰省した時に閉店していたのです。

そして、その場所では建物の

取り壊し工事が行われたいました。

その様子を見た瞬間ピンと来ました。

「ここは次はセブンイレブンになるに違いない」

長年コンビニ業界にいた人間の「感」です。

そして今回正月帰省してみたら

案の定その場所にはセブンイレブンができていました。

別に何か得をするわけでもないのですけれども、

まるでクイズに正解したようで

心の中でガッツポーズをしたのでした(笑)

こんな風に私には空き地空き家があると

そこにコンビニができるか?

どのチェーンが出店するか?

だいたいわかるという、

何にも使えない特殊能力(?)があります(笑)。

それはともかく、

・・・

何ごとに関しても理屈ではなく、

長年の経験から聞かなくても状況がよくわかる

ということはありますよね。

コンビニの当てっこなら、

当たっても外れてもたいしたことはないのですが、

人間関係についてこんな風に当てっこをすると

問題が起きることがあるので注意が必要です。

ひところで「理解する」といったとき

その対象は大きく分けて二つに分かれます。

1.ことの成り行きと事情を理解する

2.いま目の前の人の気持ちを理解する

例えば、

話を聞く側の人が自分が持つ過去の経験や

もっている知識から分析的な態度で他者の話を聞くと、

そのとき見えてくるのは、

過去に自分が見聞きしたことがある

体験した情報に一致した情報だけについて

「事情が理解できる」

だけです。

過去に似たような体験をしたからと言って、

いま目の前にいる人の気持ちがそれと

同じ(近い)だろうと思いこむのはまちがっています。

体験した出来事は似ていても

それに対する受け止め方(想い)は人それぞれです。

自分の気持がその時にした気持ちを比較をして、

「きっと同じ気持ちだろうと」推測をする

あてっこになってしまっては、

いま目の前にいる人の本当の気持ちを理解することができません。

とはいっても、

聴き手自身が何か問題を解決する

責任を持っているときには事情の理解も必要でしょう。

でもその場合であってもまず事情の理解の前に、

それを相談してきたいま目の前にいる人の

心苦しさ(など)をちゃんと受け止めてから

アドバイスをしないと正しいアドバイスでも

受け入れてもらえないでしょう。

どんな理に理屈っぽい人でも結局人間は最後は

感情により物語を決定する生き物なのですから。

気持ちは分析したり「当てる」ものではなく

「わかる」ことで価値が生まれます。

何を聴き、何をわかってあげたいのか?

今自分は解決する立場で話を聞いているのか?

・思ったことを自由に発言する評論家の立場でここにいるのか?

・いま目の前の人の気持ちを支える立場でここにいるのか?

・聴き手自身が、当てっこではない立場でそこにいる自覚があることで、はじめて聴く意味と価値が生まれます。

・自分の経験と照らしあわせて、創造と空想をし当てっこをしたいのか?

・・・

傾聴という言葉は広く知れ渡ってきても

聴き方を意識的に使い分けている人に

出会う機会はまだまだ少ないと感じます。

もし誰かのことを本当に分かってあげたいなら

過去の経験や知識から自分に

心当たりがあるかどうかを基準に

聴くのをやめることをお勧めしたいですね。

これをお読みのあなたは、

気持ちの当てっこをして喜んだりしていませんか?

聴いてあげているほうが喜んでも仕方ないですよね・・・???

<おしらせ>

2016年は1月16日土曜日からはじまります。
 ↓
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