見えているものの内側を見てみる

きのう脳のレベルでは、他人の痛みを見ている時、

見ている人の脳でも痛覚回路が動いていて、

同じように痛みを感じているという記事を書きました。

昨日の記事(http://goo.gl/qghKW0

書きながら思ったのは、

同じ痛みを感じているのだから

「相手の痛みがわかった」と

言ってしまってもよいのか?

悩みはじめてしまいました。

思うに「あなたと同じ」「私もわかるその気持ち」

という具合に「私も~」と自分の経験と照らし合わせて、

理解する類のわかり方は共感ではなく同感的な理解です。

一方、

仮に自分の中に同感する(できない)感情があったとしても、

その気持ちに気づきつつ、

「私も~」ではなく、「あなたは~」と

相手が感じていることを理解するのが共感的な理解です。

同感が「私も~」で共感は「あなたは~」。

共感と同感はまったく違うものです。

ところが、

  ・
  ・
  ・

国語の辞書で調べると、この両者は

同じ意味として出来ます。

つまり普通の会話の中で誰かが

「同じ経験あるから分かるよその気持ち。共感できる!」

といった場合、

ここでいわれる共感の中身は、

本当は「同感」ですけれども、

それを「共感」と表現しても

間違いではないのです。

(・・・日本語的には)

ところが、

なぜわざわざ傾聴では同感ではなく

「共感」という単語を使うようになったのかを考えてみると、

やはり同感と共感はまったく別物だということがわかります。

心理学のテキストなどに出てくる

共感の英語を調べてみると

「empathic understanding」です。

これを直訳すると

「感情移入的に理解する」

となります。

もし日本語のテキストにそのまま

「感情移入的に理解しましょう」と書いたら、

きっと誰も理解できません。

(書いてある本もありますが…)

こから先は推測ですが、

「感情移入的に理解する」では

誰も理解できないと思ったので、

馴染みやすくするために誰かが

「共感」という字を当てはめたのではないでしょうか。

そのほうがなんとなくわかるような気がするということで。

でも日本語では共感と同感は同義語でも、

英語ではそうはなりません。

共感は先ほどご紹介した

empathic understanding

同感は賛成と同じ意味で

agreement

まったく違う意味と意味と単語なります。

傾聴をしようとする人が

日本語的な理解と英語的な理解、

どちらをで理解しないといけないかといれば、

原文である英語の方ということになりますね。

・・・

日本語では正しいのに、

英語では正しくないというのも面白い話です。

なぜそのようにならざるをえなかったのか、

その訳をちゃんと理解しないと、

何ごとも本当に理解することはできないのということですね。

「表面的な理解ではなく、内面的な理解が大切」

傾聴で目指す相手の心を内面的に

理解しようする姿勢に通じるものがあります。

いま信じているもの、

わかったつもりでいるものは、

一度疑ってみる価値がありそうです。

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